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生命保険の始まりと「こども保険」の歴史


生命保険はどこで、どのような目的で生まれたのでしょうか。生命保険の起源とともに、近年契約残高が増えている「こども保険」の歴史と存在意義に迫ってみます。
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生命保険の始まり

生命保険の世界で最も古い起源は、17世紀のイギリスで始まった、牧師による葬儀費用の積立制度と言われています。

当時、牧師が亡くなった場合には特に多額な葬儀の費用が必要でした。それをすぐに用意するのは難しかったため、みんなで普段から少しずつお金を貯めておいて、誰かが亡くなったらその貯めたお金から葬儀費用を捻出するようになりました。こうして生命保険の歴史が始まったのです。

17世紀のイギリスは、産業革命が起こり、人々のライフスタイルが大きく変わっていった時代でもあります。牧師による葬儀費用の積立制度ができた後も、商人達の組合で積立制度が生まれるなど、生命保険の灯は次の時代でも消えることはありませんでした。この後、18世紀に入ると人類初の生命保険会社が誕生することになるのです。

もっとも歴史のある生命保険会社は1762年にイギリスに設立されたエクイタブル生命であると言われています。契約期間に応じて契約期間の前半に将来の保険料を前払いし、契約期間の後半に積み立てられた金額を保険料として取り崩すことによって、年齢が上がっても納める保険料は変わらない「平準保険料方式」が生まれ、現代に至るまで、多くの面で洗練されていくことになります。

文明の開化によって始まった日本の保険

日本に近代的な保険制度が入ってきたのは、幕末から明治維新にかけてだと言われています。黒船の到来を機に、海外の文化とともに外国の保険会社も日本に上陸しました。

著書「学問のすゝめ」でいち早く西洋の文化を紹介していた福沢諭吉は、西洋に渡った経験をもとに「西洋旅案内」を1867年に刊行しました。

この書籍において、保険のことを「人の生涯を請け合う仕事」と紹介し「生涯請合(生命保険)」「火災請合(火災保険)」「海上請合(海上保険)」の仕組みについて説明しています。

また、自身が創立した慶応義塾大学では、長年に渡って保険制度の啓蒙に努めました。こうした活動から福沢諭吉は「日本の保険の父」とも呼ばれています。

福沢諭吉の啓蒙活動もあって、日本にも保険制度が徐々に広まりました。とくに、海に囲まれた日本では、海上保険の重要性が認識されるようになり、1879年には、日本初の損害保険業者である東京海上保険(現在の東京海上日動火災保険)が誕生しました。

しかしながら、海上保険が徐々に発展する一方で、生命保険という文化は、なかなか日本に浸透していきませんでした。「人の生死を扱って商売をする」ことに対する批判が多かったのです。

それでも1881年には、福沢諭吉の門下生であった阿部泰蔵らにより、日本で最初の生命保険会社・有限明治生命保険会社が設立されました。続いて、1888年(明治21年)には帝国生命保険(現在の朝日生命保険)が、1889年(明治22年)には日本生命保険が開業することとなります。

戦前では普通の生命保険会社とは別に、徴兵保険と呼ばれる保険を扱う徴兵保険会社がありました。現在ある保険会社の中でも、徴兵保険を取り扱っていた保険会社もあります。

徴兵保険とは、養老保険の一種で、こどもが小さいうちに加入しておくと、そのこどもが徴兵になった際に保険金が給付されるというものだったと言われています。現代でいう学資保険に近いかも知れません。こうした背景からも、戦前までは貯蓄性の高い商品が主流だったことがうかがえます。

第二次大戦後の日本の生命保険会社は、株式会社から現在の相互会社に変わっていきました。またこの時期、戦争により一家の大黒柱を失ってしまった女性の働き口として各社が女性の営業職員を雇用するようになっていったのです。

現在でも女性の営業職員が多いのはこの流れを引き継いでいるためだと考えられます。そして核家族化が進むにつれ、貯蓄性の高い養老型の保険のほかに、保障を大きくした定期付養老保険、終身保険などの需要が伸び、現在のような形になっていきました。



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